何やら最近Web3.0という言葉を早くも耳にする。Semantic Web関連での話題やら、全くかけ離れた意味でのWeb3.0を定義する言葉もある。そもそもWeb2.0という言葉は既に収束を迎えつつあるということか?

Web2.0はAjax, Folksonomy, publishing, participationなど、Technologyと参加型というパラダイムが融合して、「なんとなく」成り立っている言葉だと理解している。一方向で配信されていた情報が、双方向に情報がやりとりされる様になり、多くの人や情報がそのPlatformをHubにして繋がるようなイメージを私は持っている。

そんなWeb2.0という言葉を好む人もいれば、好まない人もいる。何が変わったのか?明確な定義はなんだ?という議論に対して、個々の意見はありながらも、結論は出ていないと思っている。Tim O'Reillyは確かにWeb2.0という概念を打ち出し、爆発的に言葉が広がった。Buzzwordとしての力もさることながら、なんとなく新しい物、マーケティング的に大きく打ち出したい物には、とにかく○○2.0という、表現をつけていた時期もあった。

人は新しい物事に対してとても敏感で、ことビジネスシーンでは特に大切なのは理解出来るが、いささかWeb3.0という言葉を用いるのは早すぎる。既にWeb3.0という言葉を解説している人が居るが、これは多分成功しない。

Semantic WebがWeb3.0と位置づけるのはいささか乱暴である。Semantic WebはWeb2.0という言葉が登場する前から存在し、研究活動が続けられているのだ。古くからあるものに対してWeb3.0と表現するのは、納得がいかない。Semantic WebはあくまでもSemantic Webだと思う。

また、本質的な意味でのSemantic Webを確立出来た例はまだ乏しく、その普及は到底実現出来ていない。まだまだ研究段階にある。この辺はSemantic Webに関連する論文を読むと見えてくる。

Web1.0の世界感を表現し、Web2.0の世界観が登場してくるまでにいったいどれほどの時間がかかったのか。そんなことを考えると、今すぐにWeb3.0を定義するのはもったいないと思っている。もっと今はまだ誰も思いついていないような何かが到来するんじゃないのかなと思っている。メディアが乱暴に言葉だけを一人歩きさせると、その言葉を嫌う人も沢山でてくる。ユビキタスがまさに良い例じゃないのかなと・・・。

個人的にはWeb2.0という言葉は嫌いではない。昔、テレホーダイの時代に掲示板に何かを書き込んだり、朝まで世界中の誰かとチャットをしてみたり、そんな時代があった。確かに、あの頃のWWWには今のようにリッチなコンテンツもほとんど存在せず、個人の日記サイトやホームページ(死語?)を眺めていくだけだった。あの頃は自分の欲しい情報をインターネット上で見つけることが困難で、LycosやAltavistaといったYahoo!以外の検索エンジンも駆使し、とにかく探し回った記憶がある。今はGoogleや百度で探せば、欲しい物は大体見つかる。だけど昔のWebは楽しかった。混沌としていたけれど、朝までインターネットに接続しては、新しい何かを探していたものだ。

Web2.0という言葉が登場する少し前までのWWWに対して私は少し飽きていたのも事実だ。目的意識も持たずだらだらとWWWを徘徊することが無くなった。だけど、Blogが爆発的に普及し、TwitterやTumblr、del.icio.us、Flickrが登場し、昔のような感覚を少しだけ思い出している所なのだ。自分が求めていた情報がどんどん自分に向かって飛んでくるイメージがある。そして、Twitterなどは昔のチャットにも似た感覚がある。そんなノスタルジックなところがあったりするので、私は好きだ。古いけど好きだった物、それが今新しいインタフェースを備え、機能拡張され、登場しているのだ。私はこれがWeb2.0なのかな?と思っている。

まだWeb2.0は終わっていないし、まだ終わらないとも思っている。昔自分が朝までインターネットに接続し、遊んでいたことは他にも色々ある。それがまだWeb2.0のTechnologyをつかって表現されていない。Web3.0なんて言葉を使わずとも、新しい物は生み出される。あと5年は待ってくれないかな、なんて思っているのだ。

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