2005年 2月 23日 水曜日 先週、札幌での稚内北星学園大学のイベント、情報メディアフォーラムに参加させていただいた。 学長の丸山先生や、東大副学長の古田先生と同席させていただくなど、大変緊張する役割をいただいたのだが、 なんとか終了して何よりだ。
「新しい時代の新しい大学」セッションだけでなく、「社会はIT技術教育に何を期待するか- 使えるIT技術・使えるIT教育」セッションにも参加させていただいたのだが、いろいろ言葉が足りなかった点もある。中でも説明したりなかったのはプレゼンテーション能力とそれを育てるための教育である。今日はプレゼンテーションスキルの重要性について書いてみたい。
上記フォーラムの Panelist からは「プレゼンテーションスキルを身に付ける以前に、その元となる本質を磨くことを重視したい。小手先のごまかす技術を先に覚えてしまうと、本質を磨くことを阻害しかねない。」という意見が出ていたし、会場の方々もそれに賛同する方は多かったのではないかと思う。私もそれに共感を感じる部分はあるのだが、同時にプレゼンテーションスキルを軽視した結果の悲哀を嫌というほど見てきている身としては、プレゼンテーションスキルを軽視することの危険性を大いに感じる。特に、日本のまじめな技術者の方々にありがちな風潮が「自分はすばらしい製品を作った。だからプレゼンに力を注がなくても、評価されて当然なはずだ。」という考えだ。これはうっかり陥りがちな罠の一つである。すばらしい製品であっても、それをきちんと周囲に訴求できなくては、それは永遠に評価されない。
私は、過去何年かの Java イベントで、Night For Java Technology というコンテストを手がけてきた。

そして多くのすばらしい作品が、アピールの物足りなさだけが理由で落選していく例を見てきている。技術的に高度なことを行っているにも関わらず、それを明らかにできないがためだけに落ちるのはあまりにもったいない。が、show として人前に見せるからには何が優れているのか、一目瞭然に見せてもらう必要がある。逆に、当初それほどインパクトのなかったデモンストレーションが、プレゼンに工夫を加えた結果、最後は最優秀賞に輝いたケースもある。
テクノロジーのイベントですら、プレゼン・スキルは死活的に重要なのだ。プレゼン・スキルが大事というと、真摯なエンジニアの方ほど反発を感じてしまうかもしれないが、優秀な成果が世の中に出て行かないのは、もったいないし、業界全体にとっても損失だ。
アメリカでは、大学のみならず、家庭で幼少の頃からプレゼン能力を磨かれる。家庭を大切にするアメリカのカルチャーでは、夕食は一家そろって、というのが当たり前なのだが、その夕食の席で、子供は、その日1日何をしたか、父親と母親に説明させられるのが通例である。とてもカジュアルな場ではあるが、毎日毎日、人前で話をすることの積み重ねはプレゼンテーションスキルの土台を固める上で大きい。大学教育でも、グループ・ワークの中で、ディスカッション、プレゼンテーションは重点的に行われていて、Liberal Arts 教育の重要な一部である。日本で言う「教養教育」の視点から完全に見落とされている部分である。
これを考えれば、「本質を磨くことが重要でプレゼンテーション・スキルは二の次だ。」という傾向が強い日本発の製品が、質で劣る米国製品に次々に敗れていくのは起こるべくして起こっている現象ではないだろうか。特に、コンピュータ・インダストリーの製品は、素人目には技術のよさがわかりにくいことが多い。プレゼンテーション・スキルが競争において決定的役割を果たすケースは少なくない。ITの世界に生きる人、これからITの世界に入ろうとする人、ITに関わる教育を行う方には、プレゼンテーションスキルを二次的なものと考えず、時に本質を磨くのと同等に重要なことだということを意識してもらいたいと思う。優れたものを作れるだけのエンジニアでは生きていくことは難しい。優れたものを見せることのできるエンジニアには明るい未来が待っているのだ。