さて、毎年この季節になると今は無き「中野のじいさん」を思い出す。
私とじいさの出会いは20年前に遡る。
既に10年前に他界となっているため、正確には「故中野のじいさん」としたい。
毎朝通る町の自転車屋の軒先で、いつも言い争いをしている老人ふたり。ひとりは自転車屋の主人だろう、油にまみれれた手と職人気質な目から推測できる。もうひとりはお客なのだろうか、毎朝自転車で散歩している近所のじいさんかな、毎日いらっしゃる。そして毎日言い争いしている。
当時私は高校生であった。片道15kmの自転車通学であった。
ある日の通学途中、運悪く愛チャリ「トマホーク」がパンクする。行きたくないと思ってはいたが、やむを得ず毎朝言い争いしている例の自転車屋へ修理をお願いすることにした。
今日も二人で白熱したバトルを展開している。私は二人のバトルを静止するように店先を尋ねた。
案外バトルはすんなり中断し、パンク修理が始まった。
自転車屋のばあさんがお茶と柿を振る舞ってくれた。故中野のじいさんと向かい合って座ったが、暫くは無言のままであった。
そして突然、質問された。
「プロレスは八百長らて、おめどーおもうてばの?」
「大部分八百長らとおもう」
私は思いを率直に伝えた。
すると、パンク修理していた自転車屋の主人が参戦する。
・・・
あれから30分、二人の会話は私が普段自転車の上から眺めている光景が展開されていた。
「中野さん、おめさん八百長ねーてっていうけどね、、、」
「あんげ身体鍛えてんだ!八百長なわけねーてば」
延々と繰り返される同じ会話。
そしてパンク修理が終わらない。。。
気温も湿度も快適なこの季節は、お年寄りには外出しやすいのだろう。彼らは毎日こんな激論バトルを行っていたのだ。
この日を境に、自転車屋の前をとおるたび挨拶するようになった。
そして、、、
冬が近付いたある月曜日。激論バトルが行われていなかった。
自転車屋軒先には、おばあさんがひとり。毎朝の挨拶がてら、激論バトルしていない理由を聞いてみた。
私はその日の午後、中野のじいさんと共に自転車屋の主人が入院する市民病院にいた。
「元気なったらプロレスの話しよて」
そんな会話お陰か、自転車屋の主人は元気を取り戻し、2週間で退院した。
そして長く寒い冬になった。この年は例年に比べたくさん雪がふったので、自転車屋の軒先での白熱バトルもなくなり、気が付いたら春になった。私は高校を卒業式し、上京することになった。
卒業式の日、自転車屋に寄ってみた。自転車屋の主人が愛想良く奥から出てきた。
卒業式のこと、野球部のこと、東京への期待など、色々話したら、プロレスの話になった。そして八百長派の自転車屋の主人から思わぬ言葉が飛び出した。
「プロレスは八百長んねーて(じゃない)」
その時は、どういう風の吹き回しか判らなかったが、いまようやく判ったような気がする。
今は昔、もう自転車屋もなく、白熱したバトルも何もない。