Excessive Adaptation (2)
性淘汰説批判、として学生時代に聞いたのは「大体性淘汰説なんて、メスは見かけでコロっとイカれる、とかショーもないこと考えてるオスの妄想に過ぎない。もし、性淘汰説が正しいなら、今頃地上には美男美女が充ち満ちているハズでしょう。それが未だにブサイクがウヨウヨしてるんだから、それが誤りであることは明らか」で、これは、美意識なんて時代とともに(進化の速度とは比べものにならない速度で) 変わるのだから、後半はそうでもない、と思いますが、前半は説得力ありましたね。世の中には、どうも見かけでコロっといかれてるんじゃないか、もあるような気がするし、繁殖戦略と、生存戦略は、やっぱり両方欲しい。例えば Marketing って、どちらかといえば中身もさることながら、まず見かけでキャッチして、の繁殖戦略側を担っているんで、「見かけでコロっと イカれる、とかショーもないこと考えて」 NetBurst はお客さんが求めているんだ、と突っ走るのが Nature なのは仕方がない面もあります。
実際ニッチ (市場としての広い狭い、ではなく、過剰適応的な袋小路の意味、と考えて下さい) での、短期的な勝負は、「どれだけ過剰に」適応するか、の確信犯的過剰合戦、が鍵を握っている場合も多いと考えられます。進化論的には過剰適応合戦は種全体が滅びる、でも、社会論的には「過剰適応に適応する能力」が高ければ、その能力が低いところを無理矢理「過剰適応合戦」に引きずりこんで、自分に有利な土俵で叩く、はありうるし、Markering 理論としては有力なんだと思います。AMD さんは賢かったので、そりゃどう見ても過剰適応だろ、が見えていたし、「過剰に適応する能力が段違い」が明らかだったこともあるのでしょうが、それには乗らなかった。巻き込んでしまえば、巻き込んだというだけで勝ち、なのに、自分だけが過剰適応となると、それが本当にお客さんに気に入ってもらっていると考えないと成り立ちません。競争下における「競争のための」過剰適応と違って、一人相撲の過剰適応は逆にコントロールが難しい。それも繁殖戦略 Oriented だと尚更、です。石屋さんにとってのお客さん、は、自作で秋葉原、もありますが多くは Set Maker が「一次のお客さん」です。秋葉原の人達の多くは、見かけは見かけだ、は分かって居るんですが、でも、見かけが実質にどれだけ効いているか見たい、とか、好奇心が高いですから、繁殖戦略にはモトモト引っかかりやすい。(好奇心、ですから、一々全部繁殖していたら大変で、割に不稔性なので、バランスが取れている) Set Maker さんにだって繁殖したい人は一杯居るし、特に、Direct Model だ、広告で勝負だ、となると、何も Dell さんだけじゃなく、テレビショッピングでも「いんてるぺんてぃ あむふぉー搭載」「なんとニーテンハチぎかへるつ」「しかもマイクロソフトおふぃすもお付けしてお値段なんと 99,800円」と絶叫したくなったりする。絶叫しようと思えば、繁殖戦略寄りの Feature は大事ですから、目前でのお客さん、は繁殖戦略 Drive 気に入っている、といえばそうだったのでしょう。
袋小路に自分から、自分だけ確信犯で飛び込んで、でも、その袋小路を Break して「大道」にしてしまう、は、どんな袋小路かにもよる、と言いますか、ナミや大抵では「大道」にはなりっこない、も、いくらでもあるでしょうが、可能性はあるんだと思います。環境がそこまで進んでいないのに、が過剰適応の「過剰」の一つの側面ですから、過剰、は先取り (あんまり「良い先取り」ではないかも知れませんが) でもあります。それなら環境が追いついてきて「過剰」ではなくなる、は期待してもよい場合がある。(環境の進み方を読み間違えて、間違えた方向に「過剰」であれば、永遠に過剰で、しかも「過剰さ」が増大する、もあるかも知れませんが) そこは主に時間の関数だし、その時間の中で「それは袋小路でしょう」を言えるような違う Momentum が出てこなければ、袋小路かも 知れなくても、そこからしか次の Momentum は出てこないんだよ、には説得力があります。実際には袋小路まっしぐら、から次の Momentum が出てくる、はさすがに少なくて、袋小路のカオスの、ネオ・ダーウィニズムの言葉で言えば「カオスの縁」から、出てくるんだと思いますが...
( 8 08 2006, 09:00:02 午前 JST ) Permalink

